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2017.03.31
残照 東山魁夷

戦後まもない昭和22年(1947年)東山魁夷は39歳で房総の狩野山に登り、モチーフにし「残照」を描き日展特選に入った。昭和4年の帝展入選以来永い日の目の見ない時期があり、身内を全て失ったあとのことだった。「残照」はその後の東山魁夷を世に知らしめた作品。「東山魁夷を語る 東山すみ対談集」美術年鑑社、「巨匠の眼 川端康成と東山魁夷」求龍堂 「東山魁夷ものがたり」佐々木徹著を読み、そして今回の唐招題寺御影堂障壁画の図録、もう20年前に購入した信濃美術館東山魁夷の図録(これはしっかり創られた図録)を観て、川端康成のいう「末期の眼」の審美眼が東山魁夷の風景画家をつらぬいていると思う。110キロ車で茨城県近代美術館に出かけ、改めて東山魁夷の人生は貧と死別にあい対峙したあとに静謐なこころで終わり、僕の生まれた信州善光寺大本願の墓碑には「自然は心の鏡」と刻まれているそうな。東山魁夷、橋本明治と同級生の同じく僕の好きな画家、神童といわれた田中一村は30代千葉に住んでいた。家業の没落、院展での落選の後、中央画壇を遠く離れ奄美大島に50歳で渡り、染色工としてわずかな糧を得て一生を終えた。

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