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2025.04.10
前田青邨

前田青邨 鵜飼

前田青邨の地元、岐阜のコレクターが手放した作品。一筆書きのように一気に。

 

前田 青邨(まえだ せいそん、1885年明治18年〉1月27日 - 1977年昭和52年〉10月27日)は、日本画家位階従三位岐阜県中津川市出身。本名、前田 廉造(まえだ れんぞう)。妻は荻江節の5代目荻江露友。三女の夫が美術史家の秋山光和

人物

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文化勲章授与式、後列中央が前田青邨[1]

青邨は大和絵の伝統を深く学び、歴史画を軸に肖像画や花鳥画にも幅広く作域を示した。ことに武者絵における鎧兜の精密な描写は有名である。

1935年(昭和10年)、帝国美術院の改革が行われると会員に選出されるが、翌1936年(昭和11年)年に示された平生改革案に反対して横山大観ら日本芸術院メンバーなどとともに会員を辞任する[2]。その後、1937年(昭和12年)に帝国美術院が改組して帝国芸術院として発足すると芸術院会員となった。

1955年(昭和30年)に、文化勲章を受章するなど、画壇・院展を代表する画家として長年活躍した。

晩年には、法隆寺金堂壁画の再現模写や高松塚古墳壁画の模写等、文化財保護事業に携わった。その遺志は、弟子の平山郁夫等にも引き継がれている。

かつて岐阜県中津川市苗木に青邨から寄贈された本画や下図などを展示する青邨記念館があったが、2009年に展示物の「富士」と「鮎」が盗まれた。その後、建物の老朽化を理由に2015年6月に閉館した。

青邨の代表作の1つ「洞窟の頼朝」は2010年(平成22年)に重要文化財に指定された。

年譜

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(ウイキペディアより)

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