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2017.07.03
そして布良へ 海の幸 青木繁
早朝の鹿野山は霧が深く、沸き立つようにスケッチブックに落ちてきた。2時間ほどで夏なのに身体が冷えて週末、風邪をひいた。秋の鹿野山を楽しみに青木繁の「海の幸」の布良に向かった。
「宇都宮さん、どうして海の幸に興味を持たれるんですか?」と入江観さん。去年、盟友の大村智さん(ノーベル医学賞)を動かし小谷家(青木繁の海の幸誕生の地)の保存運動、募金活動に尽力された。日本の洋画・日本画壇の錚々たるメンバーの末席に僕も寄付をさせて頂いた。
大学4年の時、体育の実技が1単位不足して夏の終わりに館山の岩井海岸でヨットの実技を取った。青木繁の「海の幸」を描いた場所が布良だと教えてくれたのが友人I。学院から理工の建築学科を希望していたが、板金工場を経営している親父から会計を学ぶこと家業を継ぐことを条件に高額な車を乗りまわしていた。
西早稲田の7回目の下宿の隣にある7人ほどでいっぱいになるおでんやでIと飲んだ。青木繁の「海の幸」の知識の深さに僕自身もこの領域に引けを取らないと思ったが度肝を抜かれた。淡々と話す彼が大学教授に見えた。夏のおでんと熱燗はとめどなく追加がされ、彼らしい性格でキッチリ割り勘の最後のコインまで・・・

青木繁と「海の幸」「わだつみのいろこの宮」など神話の数々。僕自身の青春そのものだ。

青木繁アーチ

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