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2009.11.06
リクルートと企業遺伝子
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M&Aビジネスを20年以上していて日本で戦後のホンダ、ソニーなどのニュービジネス、ベンチャーから2000年代の日本でのITブームでの中で傑出したベンチャー企業を上げろといえば、僕は江副浩正氏創業の「リクルート」を躊躇なく上げる。
東大の学生新聞から「広告だけの本を無償で配る」というビジネスモデル。
ピーター・ドラッカーの唱えた「事業部制」を取りいれ社内での新規事業、インキュ
ベート事業を提案する若いリクルートの社員を抜擢、任せて事業拡大した。
(これがリクルートの遺伝子となり、リクルート事件捜査中の検事が当時のリクルート社員が対応にめげない事を驚きの様子を「リクルート事件・江副浩正の真実」に掲載されています)
リクルート創業者の江副氏のビジネスモデルはこの2つだけ。
東京大学新聞社で天野勝文氏が「広告もニュース」を聞いて江副氏はリクルートというビジネスを学生時代から始めています。ドラッカーの言うまるっきり新しい技術・発見による新しいビジネスでもなんでもなく、機会に上手く会わせてビジネスを大成功させた事が一番の評価する所です。
リクルートの幾つかの事業の中で、通信事業の時間貸しでは失敗などいくつかありますが最大のものが不動産事業の「リクルートコスモス」と金融の「ファーストファイナンス」でした。
当時公開準備(IPO)をしていたのは親会社のリクルートでなく子会社のコスモス。未公開株コスモスの譲渡はそんな株式、不動産バブル絶頂期のなかでの出来事と位置づければ時代背景が良く見えてきます。
リクルート裁判中(平成4年)に江副氏の保有の未公開株(33.4%)のリクルート株式をダイエー創業者の中内功氏と直接交渉し454億8453万円で譲渡。ダイエーへの譲渡がなければ江副氏は多額な借り入れ、裁判費で自己破産でした。江副氏は創業から離れます。この経緯は江副浩正著「かもめが翔んだ日」(推薦は大前研一氏)に書かれています。当時あれほど報道批判した朝日新聞社から出ていま
す。創業社長、企業を譲渡する経営者のM&A時の心境とはどのようなものか考えるうえで大変参考になる推薦の本です。
%E3%83%AD%E3%82%B4.jpg     りんどうの花言葉:「正義と共に勝利を確信する」「気遣う心」     
                   創徳企業情報 代表取締役社長 宇都宮徳治
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