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2023.08.03
小寺健吉

老舗の画廊でも小寺健吉を知っている学芸員はいないと思う。時間とともに忘れられた画家。今朝の日経、私の履歴書に寥一久氏の母親佐藤節子さんが油彩が好きで小寺健吉から絵画を学んでいたことが書かれている。岐阜のオーナー一族が所有していた小寺健吉の薔薇。代替えで手放された作品。名画だと思う。

 

小寺健吉薔薇油彩20号

今朝の日経 寥一久の私の履歴書

小寺健吉薔薇20号油彩

 洋画家、日展参与、光風会名誉会員小寺健吉は、9月20日肝臓がんのため東京飯田橋の警察病院で死去した。享年90。俳号村鳥。明治20(1887)年1月8日岐阜県大垣市に生まれる。同39年東京美術学校西洋画科に入学し、長原孝太郎、小林万吾、和田英作、黒田清輝に指導を受け、同44年卒業。翌年光風会第1回展に「日比谷音楽」「花」を出品、以後同展に出品を続け、大正3年第3回展に「女」など4点を出品して今村奨励賞を受賞、同13年会員となった。また、大正2年第7回文展に「秋近く」が初入選、続いて第8回「浅草の夏の真昼」、第9回「水のほとり」で褒賞を受けた。その後も文展、帝展に入選を重ね、大正12年と昭和2年に各々一年余り渡欧。昭和3年、第9回帝展出品作「南欧のある日」で特選を受け、翌年は無鑑査出品、以後推薦となった。同8年光風会評議員となる。以後、光風会、新文展に出品を続けたほか、同15年の紀元2600年奉祝美術展に「細雨」を出品、同18年第6回新文展出品作「山狭」は黒田子爵奨励資金買上となった。戦後は、光風会、日展、美術団体連合展などで制作発表を行い、同25年第6回日展ではじめて審査員(以後5回)をつとめた。同40年「画業50年記念展」(日本橋・三越)を開催する。同45年日展参与となり、同52年文展以来の永年の出品活動に対して日展から顕彰状が贈られた。同年『小寺健吉画集』(日動出版部)が刊行される。初期は後期印象派風のタッチで装飾性の強い画風を示したが、やがて写生画風に転じた。戦後の代表作に「雪の夜明(蔵王)」(第48回光風会展)、「枝柿と花の静物」(第7回新日展)、「青果市場(シンガポール)」(昭和40年)、「陶器造りの庭」(同42年)などがある。

出 典:『日本美術年鑑』昭和53年版(279頁)

 

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