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2007.08.24
財界人物我観 (福沢桃介著)より 岩崎 弥太郎 (1)
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岩崎 弥太郎は37歳にて実業に身を投じ、52歳で比較的早死にしたので彼が本当に働いたのはわずか15年。
かくのごとき短時日の間に彼ほど多くの仕事をしたものも無く、また彼ほど大きい富を作った者も無い。岩崎は土佐の豪士で19歳のとき江戸に出て漢学塾に学び、土佐に帰った後土佐藩の役人となり藩の貿易船舶等の事業管理を任される。
廃藩置県により自然岩崎が払い下げを受けることになる。明治三年土佐開成商社を起こし、明治6年岩崎の紋所三階菱を崩し三菱商会と号した。
海軍の必要を理解した大久保の計らいで、明治政府の購入した船を相当価格で三菱に払い下げ、三菱は日本における船舶王の形となった。
しかし政府の買った能率の悪い古船ばかり引き受けたのでそのままでは、あるいは財政上破綻を来したかも知らなかった。
天なるかな、共同運輸が出来て、その競争に打ち勝ち、ボロ船を高く売りつけて、それが郵船株となり、そしてその株をまた高く処分して現金を握ったのだ。
三菱が世間を驚かすほどの大金を出して買った大きな買い物に明治22年、丸の内の地所を120万円で買ったものがある。
陸軍省から是非買ってくれと進められたが、なにぶん当時の120万円はオイソレと出せるものではなく思案の末、買ったのである。総計約10万坪を120万円で買ったのである。
すなわち、坪当たり12円。当時としては良い値段だった。その後東京駅が完成。
帝都の中心となり世界に偉観を示すに至った。
財界人物我観 (福沢桃介著)より抜粋
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