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2025.02.06
伊藤清永(いとうきよなが)文化勲章 (忘れられた巨匠)

笹塚会と書かれた古美術商が持つ大きな風呂敷から落札した作品を取り出し、ここでよろしいでしょうか、当時は日動画廊と大阪の梅田画廊が取り扱ってました。高額値段でしたが地味なコレクターに買い取られ、我々もなかなか見ることができませんでした。改めてこうやって眺めてみますと、いいですね、と。女性、裸婦も描かれてました。まじまじと観たあと、これではまたと言いそそくさと京橋に戻られた。

 

  伊藤清永バラ6号油彩

 洋画家伊藤清永は、6月5日午後6時35分、急性心不全のため長野県軽井沢町の病院で死去した。享年90。伊藤は、1911(明治44)年2月24日兵庫県出石郡の禅寺、吉祥寺の三男として生まれる。中学の図画教師に岡田三郎助を紹介され、本郷洋画研究所に学んだ後、1929(昭和4)年東京美術学校西洋画科に入学。在学中の31年第8回槐樹社展に「祐天寺風景」が初入選し、33年には第10回白日会(白日賞受賞)と第14回帝展に入選、その後も白日会と日展を舞台に活躍した。二度の応召から復員し生家の寺で住職代理をしていたが、制作を一からやり直すつもりで裸婦の制作に取り組み始める。46年第1回展から日展に出品、47年「I夫人像」が、48年「室内」が、第3回、4回の日展で連続して特選となる。56年からは同審査員。53年画室で伊藤絵画研究所を開設、57年には愛知学院大学教授となって後進の指導に当たった。62年、51歳で初めて渡欧、パリとオランダに滞在して制作する。帰国後は、色彩豊かな柔らかい描線を交差させて、女性の肌の美しさをあらわした裸婦や、バラを描いた。戦前は着衣の群像を多く描いたほか、大画面への意欲も強く壁画も描いていて、年を隔てて84年には愛知学院大学講堂に「釈尊伝四部作大壁画」を完成させている。76年「曙光」が第8回日展で内閣総理大臣賞を受賞したほか、同作が翌年には日本芸術院恩賜賞を受賞した。84年日本芸術院会員、86年白日会会長となる。1991(平成3)年に文化功労者、96年には文化勲章を受章した。71年の『伊藤清永作品集』をはじめ、89年と91年にも画集が刊行され、2001年には日本橋高島屋を皮切りに全国5会場で卒寿記念の個展が開催された。89年、郷里の出石に町立伊藤美術館が開館。

出 典:『日本美術年鑑』平成14年版(239頁)

 

 

 

 

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