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2024.10.16
石井柏亭 野尻湖(忘れられた巨匠)
没年月日:1958/12/29
分野: (洋)

日本芸術院会員石井柏亭は12月29日尿毒症のため東京女子医大病院において逝去した。享年76才。本名満吉。明治15年3月28日東京下谷区に生れた。若くして父鼎湖に日本画を学び、日本青年絵画共進会、日本美術協会に日本画を出品した。大蔵省印刷局に入つて彫版、水彩画を学んだが、明治31年浅井忠の門に入り洋画を正式に学んだ。この頃から明治美術会に出品した。浅井の渡欧後は中村不折の指導を受けた。また新日本画に興味を持ち、結城素明、平福百穂等の无声会に加わつて日本画を発表し、さらに明治35年からは太平洋画会に洋画を出品して会員となつた。一時東京美術学校に入学したが、眼疾のため1ケ年で退学した。明治40年以降文展に出品し、大正2年第7回文展「滞船」は2等賞となつた。この間、明治43年から大正元年にわたりヨーロッパ、エジプト等を巡歴した。同2年丸山晩霞南薫造等と日本水彩画会を結成した。この年文展に第2科を置くことを建議したが容れられず、遂に翌3年山下新太郎有島生馬等と二科会を創立し、多くの作品をこれに発表すると共に、その運営の中心となつて活躍した。その頃の主な作品に「鰤網の支度」(第3回)「道潅山」(第4回)「溶々水」(第7回)「江の島」(第13回)「果樹園の午後」(第15回)等がある。大正11年ヨーロッパに再遊し、翌年帰国した。昭和10年帝国美術院の改組にあたつて会員に選ばれて二科会と決別し、同11年同志と一水会を結成し、専らこれに出品した。戦後日展の常務理事として運営につくすと同時にこれに出品した。また同25年以来文化財専門審議会専門委員(名勝部会)となり、同29年にはその水彩画を携行して米欧を行脚した。その作品は、油絵、水彩画、日本画など数多いが、いずれも淡々とした色調と軽快な筆致に日本的な独自の画風を示している。文筆にも長け、評伝、画論等に筆を振つた。主な著書に「欧洲美術遍路」「マネ」「浅井忠」「明暗」「日本絵画三代志」などがある。わが国の近代美術の発展につくした功績は大きい。その葬儀は34年1月8日青山葬儀所で一水会葬をもつて行われた

出 典:『日本美術年鑑』昭和34年版(157-159頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

 

高校2年、夏休み親友のWと野尻湖一周、24キロを自転車で回った。真夏の太陽は野尻湖でも照り返しがキラキラと強かった。自転車を降り、水をがぶ飲み。眺めた景色がこのあたり。銀座日動画廊のウインドウでこの絵画、石井柏亭「野尻湖」が飾られており、引き付けられるように画廊に入り、この絵画を眺めていると、今は忘れられているが巨匠です。これは長野県の野尻湖ですか?そうです。それから永らく眺めていた。17歳の青春が一気に。購入するのに3年ほどかかり、手元に。今も会社エントランスに。

 

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